現在不定期更新中。
いただいても返せる自信がないため、記事へのコメント、トラバは丁重にお断りしておりまする。
あの日から一ヶ月。
何か書こうと思っても、何も言葉にできない日が続いてしまいました。
振り返ればあっという間だったけれど、
一日一日はとても長かったように思えます。
我が家は四日前にガスが戻ってきました。
丸一ヶ月、ガスなしの生活を送ったのだね。
洗髪不可五日目くらいから、
髪のツヤベタがハンパないことになるという事実を図らずも体感しました。
そんなに洒落っ気がある方でない私でさえ、
風呂に入れないのは本当にきつかったので、
年頃の女の子なんかは本当に辛かっただろうなぁ。
電気が戻ってきたのは震災後5日目の夕方。
戻ってきた直後に炊いたコメの美味かったこと。
あたたかいごはんを食べられる、
そんな当たり前のことがどれほど幸せなことか。
水道は今のところ一度も止まっていません。
この点は本当に幸運だったと思います。
ライフライン=生命線。
自分の生活が元通りになればなるほど、
元通りになれない人々がまだたくさんいる事実が忘れられない。
日に日に小さくなる配給のおにぎりを。
数日振りに口にした味噌汁のぬくもりを。
大停電の夜に見上げた空の満天の星を。
思い出にするには生々しくて、
そして同時に、綺麗な思い出にしてはいけない記憶。
今、私がいる街は素晴らしいスピードで復興しています。
スーパーの品揃えはかなり戻ってきたし、
開いている店も日に日に多くなっているし。
まぁひっきりなしの余震のせいでJRはしょっちゅう止まるし、
コンビニの営業時間は長くてもセブンイレブンだし(笑)
スーパーの特売が少なくなったせいでちょっと物価高いけどね。
それでもこんなに短期間でここまで戻ることができたのは、
間違いなくみんなで『日常』を取り戻そうと努力した結果です。
探すでもなく見つけられる遠隔地のナンバー。
うちのガスを復旧してくれた東京ガスさん。
近所の駐屯地でテント生活をしている自衛隊の皆さん。
全国の皆さんに支えられて、今この瞬間があるのだと実感できます。
ここに住んでいるだけですべてに感謝できる。
本当にありがとう。
どうやら私は思っていた以上にこの街が、東北が好きみたいです。
こんなことになっても故郷に帰るという選択をできなかったしなぁ。
宮城の魚。
岩手の地酒。
福島の果物。
私をとりこにした素晴らしい自然の恵みが、
またいつか当たり前のように食卓に載る日が来ると信じています。
先日、若林区の浸水域を見てきました。
自転車で行けるほど近くにある激甚被災地域。
そこから目を背けたままだと、きっと後悔すると思ったから。
濃厚な潮の匂い。
舞い上がる土埃。
空の広さ。
TVでは決して伝わらない、あの静けさ。
行って良かったと思いました。
津波が到達した、その線。
あの日何かの歯車が違っていたら、
私もその境界線の向こう側にいたのだから。
お前は生かされたのだ、と言われたこともありました。
けれど私は少し違うと思うのです。
あの日あの境界線のどちら側にいたかは本当に偶然でしかない。
津波で亡くなった方が生かされなくて、
たまたま内陸にいた私が生かされた理由なんて、あるはずがない。
だから。
これから先、私が生きていく中で
あの日生き延びた意味を創っていかなければならないのだと思います。
創る時間を奪われた人々の分まで。
犠牲者の方々の眠りがどうぞ安らかでありますよう、心から祈ります。
まとまらない文章ですが、最後に。
震災直後、拍手経由で安否を問うメッセージをいただきました。
返信不要のチェックが入っていたのですが、
どうしても一言、お伝えしたいのです。
メッセージを拝読して、
生きることができて良かったと心から思えました。
ありがとう。
この文章を書いている間も繰り返されている余震。
今もこの空の下、不安な夜を過ごすすべての人々に。
吹雪はもう要らない。
春風が優しく、穏やかに吹きますように。
何か書こうと思っても、何も言葉にできない日が続いてしまいました。
振り返ればあっという間だったけれど、
一日一日はとても長かったように思えます。
我が家は四日前にガスが戻ってきました。
丸一ヶ月、ガスなしの生活を送ったのだね。
洗髪不可五日目くらいから、
髪のツヤベタがハンパないことになるという事実を図らずも体感しました。
そんなに洒落っ気がある方でない私でさえ、
風呂に入れないのは本当にきつかったので、
年頃の女の子なんかは本当に辛かっただろうなぁ。
電気が戻ってきたのは震災後5日目の夕方。
戻ってきた直後に炊いたコメの美味かったこと。
あたたかいごはんを食べられる、
そんな当たり前のことがどれほど幸せなことか。
水道は今のところ一度も止まっていません。
この点は本当に幸運だったと思います。
ライフライン=生命線。
自分の生活が元通りになればなるほど、
元通りになれない人々がまだたくさんいる事実が忘れられない。
日に日に小さくなる配給のおにぎりを。
数日振りに口にした味噌汁のぬくもりを。
大停電の夜に見上げた空の満天の星を。
思い出にするには生々しくて、
そして同時に、綺麗な思い出にしてはいけない記憶。
今、私がいる街は素晴らしいスピードで復興しています。
スーパーの品揃えはかなり戻ってきたし、
開いている店も日に日に多くなっているし。
まぁひっきりなしの余震のせいでJRはしょっちゅう止まるし、
コンビニの営業時間は長くてもセブンイレブンだし(笑)
スーパーの特売が少なくなったせいでちょっと物価高いけどね。
それでもこんなに短期間でここまで戻ることができたのは、
間違いなくみんなで『日常』を取り戻そうと努力した結果です。
探すでもなく見つけられる遠隔地のナンバー。
うちのガスを復旧してくれた東京ガスさん。
近所の駐屯地でテント生活をしている自衛隊の皆さん。
全国の皆さんに支えられて、今この瞬間があるのだと実感できます。
ここに住んでいるだけですべてに感謝できる。
本当にありがとう。
どうやら私は思っていた以上にこの街が、東北が好きみたいです。
こんなことになっても故郷に帰るという選択をできなかったしなぁ。
宮城の魚。
岩手の地酒。
福島の果物。
私をとりこにした素晴らしい自然の恵みが、
またいつか当たり前のように食卓に載る日が来ると信じています。
先日、若林区の浸水域を見てきました。
自転車で行けるほど近くにある激甚被災地域。
そこから目を背けたままだと、きっと後悔すると思ったから。
濃厚な潮の匂い。
舞い上がる土埃。
空の広さ。
TVでは決して伝わらない、あの静けさ。
行って良かったと思いました。
津波が到達した、その線。
あの日何かの歯車が違っていたら、
私もその境界線の向こう側にいたのだから。
お前は生かされたのだ、と言われたこともありました。
けれど私は少し違うと思うのです。
あの日あの境界線のどちら側にいたかは本当に偶然でしかない。
津波で亡くなった方が生かされなくて、
たまたま内陸にいた私が生かされた理由なんて、あるはずがない。
だから。
これから先、私が生きていく中で
あの日生き延びた意味を創っていかなければならないのだと思います。
創る時間を奪われた人々の分まで。
犠牲者の方々の眠りがどうぞ安らかでありますよう、心から祈ります。
まとまらない文章ですが、最後に。
震災直後、拍手経由で安否を問うメッセージをいただきました。
返信不要のチェックが入っていたのですが、
どうしても一言、お伝えしたいのです。
メッセージを拝読して、
生きることができて良かったと心から思えました。
ありがとう。
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今もこの空の下、不安な夜を過ごすすべての人々に。
吹雪はもう要らない。
春風が優しく、穏やかに吹きますように。
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深雪
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性別:
女性
自己紹介:
駄文を書き散らしたり他にもなんか色々します。
基本疲れてますが、
時々憑かれたり暴れたり萌えたりする日々。
現在は主についったーに棲息しています。
@mi_suikyou
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